Lens Impression
創立者Ernst Gundlach(1834-1908)は、1878年Lewis.R.Sextonと共同で、「Gundlach Manhattan
Optical Company, Rochester N.Y.」を設立(後のGundlach Optical Co.)。当初はSextonが経営しており、Gundlachは光学技術を担当。その後1881年にはカメラにもその名が残るJohn
C.Reichが入社した。
1884年Sexton が死去し、Gundlachが経営者となる。社名をGundlach Optical Co.に変更。そしてこの頃、後に社長にもなりカメラ名にもなるHenry
H.Turnerが入社する。
1889年息子のKarl Gundlachが会社に加わるとともに、翌1890年頃から同社はカメラ用レンズに事業を集約し始める。翌年にかけてRapid
Rectigraphic lens、Perigraphic lens、新型Rapid Rectilinear(The Star lens)など多くの特許を独占。
ところが、1895年にErnst Gandlachは息子とともに突然会社を手放し、全く新しい会社「Gundlach Photo Optical Co.」を設立してしまう。
その理由は明らかではないが、ここに、2つのGundlach社が存在することとなった。当レンズを製造したのはErnstが離れた後のGundlach Optical Co.であった。
トリプレットの単純で安価で優秀な特性を保ったままもっと明るくしたい。
1900年ボシュロム社のEdward Bauschの特許(US660747)に始まったトリプレットをより明るくする目的の4枚構成レンズの開発は大きく2つの流れとなる。
一つはトリプレットの後群の凸レンズを2枚に分離する手法。これは1924年H.W.Leeの「Speedic」の特許(GB224425)に始まり、ほぼ同時期のAstro
Berlin社W.F.Bielickeの「Tachar」タハーレンズに引き継がれていく。
もう一つはトリプレットの前群の凸レンズを2枚に分離し凸メニスカスレンズを追加する方法である。この先鞭を切ったのがC.C.Minorであり、このガンドラック社「Ultrastigmat5cmf1.9」であった。
このタイプのレンズ構成で最も有名なのはベルテレ設計のエルノスターである。エルノスターの設計に際し、ベルテレが一歩先を行くMinorのUltrastigmatの特許を参照したのかどうかはいまだに定かではない。しかし可能性は十分にあるだろう。そう考えると、Ultrastigmatはまさにゾナーの源流とも考えられる。
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